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下手の横好き語学学習日記


by telescopio

外国人がみた外国(?)

外国人がみた外国(?)_d0018759_23142391.jpgいっとき、外国人がみた日本、みたいなテーマに関心があり、そういう本を続けて読んだことがあるけど、それはまた別の機会に書くとして。
少し前に書いた、地中海岸をぐるりとまわる旅行記の著者、ポールセローの本をまた読んだ。
『中国鉄道大旅行』
1986年、ロンドンを出てシベリア鉄道でユーラシア大陸を横断するツアーに参加し、一路中国へ。ツアーの一団と別れ、文革の記憶も覚めやらない、でも日々変化していく中国各地を鉄道で旅して周る。その間、およそ一年間。
その頃の中国というのは、当然ながら今とはかなり違うけれど、アメリカ人の目を通した中国の鉄道旅行というだけで、これは非常に興味深い紀行文だと思う。
著者は新彊にもラサにも行っているし、未解放地区にムリヤリ足を踏み入れたりもしている。最初はどうしても中国人の誰かが”お目付け役”的に随行していたが、やがてそのお目付け役でさえ、中国の鉄道の旅に音を上げてしまう。
確かに読んでいるだけで体調がおかしくなりそうな描写が続く(もちろん硬座などではなく、軟臥のコンパートメントだけど)。よくロンドン在住のアメリカ人の彼が、しじゅう痰を吐き続ける中国人の中に入って、1年近くも旅行できたものだと思う。それも、極寒のハルピンあり、蒸し暑いアモイあり、不毛の青海あり...。
いろいろな街の描写も面白いけれど、やっぱり好みが似ているかも、と思ったのは、ウルムチに不快感を示し、西安に品格と居心地の良さを感じるところ。
いや、案外、誰でもそうなのか?




ウルムチについては「20年前はカシュガルみたいに美しい街だったんだが」みたいなセリフを聞いたことがあるけれど、これを読む限り、20年前にはすでに醜悪で不愉快な地方都市に成り下がっていたようだ。
一方西安は、この頃すでに経済的な安定と発展(それも南方ほど性急でなく)を迎えていたらしい。そしてまったくもって著者のいうとおりだと思ったのは、兵馬傭が文革の前に発見されなくて良かった、ということ。
著者は列車の中でいろいろな中国人に会う。そして中国人が「北の人間と南の気質の違い」について語ったり、文革やその頃発生していた学生デモについて慎重に意見を言ったりするのを、興味深く聞く。もちろん彼がどんどん質問して、中国人が答える形なので、時に中国人は意味深な笑い方をして話をはぐらかしたりする。そりゃそうだ。
他におもしろかったのは、マイナス20度を下回るハルピンで、地元の人が燃料を節約するために、たくさん服を着込んだり対策をたてていて、ホテルなどは非常に寒いことについて、着込むことで防寒する習慣のせいで、人は窓や扉をきっちり締めないことに無頓着になっている、という分析をしているところ。
あなた、本当に寒いところに住んだことないんですね、と言いたくなる。
いくら暖房がなくたって、屋内は屋内。調理の熱だってある。外と気温差がある以上、ぴったり扉を閉めてしまったら、翌朝には開かなくなっていることが、この人には判らないのだ。
判らない南国の方のために書いておくと、うちの窓も、真冬には気をつけて毎日開閉していないと、たまに空気を入れ替えるために開けようと思っても、夜なんかビクともしないことがある。外との気温差で窓に水滴がつき、それがしたたって夜間に凍り、繰り返すうちにレールと窓の間で両者を結合させてしまうのです。これがマイナス30度にもなれば、一晩で十分凍り付いてしまうだろう。
ちなみにこういうとき、慌ててお湯なんかかけたら、次はもっと開かなくなる。もちろんお湯が後で凍るから。こういうとき、どうしても開けたかったら(昼間で待てば普通は開きます)ドライヤーの熱をあてるのが正解。
話がそれたけど、逆に不愉快になったのは、著者が漢方薬を迷信だと決め付けていること。中国ではいろんな動物の角などを薬にしていて、それが絶滅危惧種であれば、まあ仕方ないけれど「そんなくだらない迷信のために動物が殺されるのは気が滅入る」みたいに言われると、ちょっと顔貸せと言いたくなる。
食文化というのはかなりデリケートな部分で、よそからあれこれ言われて一番冷静でいられない部分だと思う。日本人はとりたてて中国や韓国にシンパシーを感じているとは言えないけれど、よく知りもしない西洋人にそれらの国を批判されるとやはり面白くないあたり、なんとなく仲間意識があるのだろう。逆に彼らは日本が批判されてもかばってくれないだろうけど。
まあ、その点以外は、著者は中国人に対して全体として好意的な視点を持っているようだ。でなければ、過去に行ったことのある中国を、そんなに長期にわたって再訪しようとは思わないだろうけど。
著者は、中国人はつつしみ深く、めったに喧嘩をせず(口論はする)、南方の人間以外はやたらと大声でしゃべったりせず、別れは唐突である(長々と別れを惜しんだりしないし、宴会も突然終わる)、というような印象をもったようだ。
ふ~む。
この著者は、この本より前に欧州を鉄道でまわったり、アフリカを旅行したりして本を書いているようだが、それも読んでみたくなった。

外国人がみた外国(?)_d0018759_2358658.jpgもうひとつ。
いつの間にか文庫になっていたので、ニースに行ったとき持って行って読んでみた『くそったれ、美しきパリの12か月』
イギリス人男性が、パリに職を得て1年間暮らす話で、一応小説の形をとっているけれど、ある程度著者の体験が下敷きになっているらしい。そして主人公は、タイトルからも判るように、パリで総合的にそれほどいい思いをしていない。彼は友人が止めるのも聞かず、パリへ行く。
友人は言う。フランスのライフスタイルも食べ物も申し分ないし、女の子は申し分のない下着を着けている。しかし。我々イギリス人がフランス人の間で生活するのは大変だぞ。
ふ~む。
イギリスとフランスの文化的な違い、イギリス人がフランス人をどうステレオタイプ化しているか、またその逆を知るうえで、大変興味深い本だと思う。ストーリーも、まあそれなりに面白い。

もひとつ蛇足で...ニースの帰り、関空のTSUTAYAで、清水義範の『夫婦で行くイスラムの国々』の文庫版が出ていたので買ったけど、これは失敗だった。
この人は教養系のエッセイもよく書いていて、それなりに面白いので少し期待したんだけど、正直、本にするならもっと勉強してからにするか、ノーテンキな楽しい、きれい、おしいい、だけの旅行記にするか、どっちかにしなさい!と言いたい。よく知らないだけなら別にいいのだけど、間違ったことを書かないでほしいのだ。特にこういう”教養系”の人がいうと、みんな信じるから。
といっても、基本的に非常にイスラムに好意的だし、モスクをたくさん見た後でスペインに行き、カソリック教会に威圧感を感じたり、壁画の宗教画に血なまぐさい場面があって気分が悪くなったり、イスラム芸術・建築に馴染むとカソリックに違和感を覚える、などと書いていたりもするのだけど、そういうことじゃなくて。
たとえば、まさにそのキリスト教の宗教画の血なまぐささに関していえば。
イスラムは偶像崇拝禁止だから人の姿も描かないし、ましてこんな血なまぐさいものを念入りに描いたりしない、みたいに言うけれど、シーア派のカルバラの悲劇を描いた壮絶なタベストリーを見たことはないのか?生首が血をしたたらせて転がってるけど?それも絵じゃなく、一針一針、丁寧に刺して描写した渾身の大作だけど?
あるいはマグレブで異教徒がモスクに入れないことについて、単に旧宗主国のフランスが禁じたのを踏襲している、とだけ書いてすませているけど、それは半分しか事実ではない。
フランスはそこで植民地支配反対の決起集会が開かれることを恐れて、モスクは純粋に宗教目的以外に使用してはならないとした。だから観光目的の異教徒は入れないのは確かなのだが、それ以前に、マグレブの主流であるマーリク派(スンナ派の四大法学派のひとつ)は、異教徒のモスクへの立ち入りを禁じている。この学派は一般信徒ひとりひとりの判断を原則的に認めないので、たとえば地元の信者が「この人は異教徒だけどイスラムに敬意を払っているし、自分がついてちょっと見学に入るくらいなら」というような判断をすることは許されない。そんなのはちょっと調べれば判ることじゃないのかね?だいたい、フランスが強制しただけなら、なんで独立した今もそれを踏襲してるのか、この人は疑問に思わないのだろうか。
また、ダマスカスでサラディンの話に触れ、普通の日本人でサラディンの名を知っている人はまれであろうとか、冗談みたいなことを言う。サラディンは高校の世界史で習うし、それも試験に出るくらい重要な人物だ。そりゃ世界史を選択しなかった人は知らないだろうけど、知ってるのが”普通の日本人”でないなんてことはあり得ない。清水さんの学生時代には教科書に載ってなかったのかもしれないけど、もうちょっと調べようよ...それに「いや、僕高校で習いましたよ」と言える編集者はいなかったのか?
ちなみに版元は集英社。なるほどね。
というわけで、ちょっとイスラムのことを知っているとイライラするので読まない方が良いと思います。
同時多発テロ以降、変にイスラム圏賛美みたいな”文化人”が出たけど、なんというか、一種の逆差別みたいで感じ悪いこと、ときどきないですか?
by telescopio | 2009-09-13 00:21 | 読書