下手の横好き語学学習日記


by telescopio

失言とオリンピックと...

イタリア語。
またしても相方の欠席で、今日はずっと雑談。
本当は「ベルルスコーニ(現伊首相)は本物のバカだ」という話をしたかったのだが(先生はスイス人なので、イタリアの悪口は問題なし(笑))。オリンピックの話に流れてしまった。
いやほんと、ベルルスコーニって欧州の政治家では稀に見る失言魔人である。アメリカのブッシュ、日本の森と並んで、失言御三家と言ってもいいかも。
この前は「次の総選挙まで禁欲する」ということを、もっとダイレクトな表現で高らかに宣言して失笑を買っていたし、今度は「私は政界のキリストだ」と、ついにそっち方面か?と心配になるような失言が出た。イタリア国民は呆れつつ「どこまでいくか」と半分楽しみにしているそうだが、まあ、ブッシュの物騒な失言よりはマシか。

さて、「私は政界のキリストだ」という発言の反応。
野党からは「不謹慎だ」という非難が飛び、与党からも「適切な比喩とは言えない」と言われたそうだけど、この”不謹慎”というのは、どういう意味だろうか。
実際、原語でなんと言ったのか知らないので、正確なニュアンスは判らないが(原語を知ったら余計判らないかも?)さすがに、オマエみたいなアホをキリストにたとえるとは...という意味ではないだろう。たとえ本心はそうだったとしても。
ベルルスコーニの発言は「私は自分自身をすべて政治に捧げている。政界のキリストだ」ということだったようなので、人類の救済に自分自身を捧げたキリストと同じくらい熱心に、政治に取り組んでいる、という意味だろう。
であれば、おこがましいとか事実に反するとかはあっても、たとえとして、別に不謹慎ではないだろう。軍需産業とか風俗業界とか、神の教えと違う方向の世界じゃないし、熱心に献身的に、というたとえなんだから。
でも、それを不謹慎と感じるイタリア人がいる。
ふーむ。




私はオリンピックにはあまり関心がなく、夏なら体操とシンクロくらいはテレビをつけたときにやっていれば見るし、冬のフィギュアスケートは、起きてる時間にやっていれば、わざわざテレビをつけてでも見ることが多い。
で、今朝、中国のペアの演技を見た。あの4回転のスロージャンプに挑戦して失敗したやつね。
いやー、あれ痛そうだった!そしてよくがんばった!トシのせいか、黙ってがんばる人を見ると泣けてくるので、おいおい泣きながら見て、出勤できないかと思った。
...という話をして、新方式の採点システムを説明したり、気楽な話で終わりそうだったけれど、テロ対策から、例の諷刺漫画問題へ。
先生は「君はどう思う?イスラムのこと、いろいろ知ってるでしょ」と、先に私の意見を聞きたがったので、ちょっとドキドキしつつ「まず、描いた側の問題は2つ。人の気持ちへの配慮がなかったこと、そして政治的にどれだけマズイことか、想像できなかったこと。ムスリムが怒るのは無理もない。でも大使館放火はやりすぎと思うし、ホロコースト諷刺漫画で対抗、というのは意味不明」という主旨のことを言った。
すると先生はちょっと考えてから「ムスリムの怒り方を見て、イスラムのことを何も知らない人の中には、うわーイスラムってキケン、と思う人もいるだろうし、まあ当然だね、と思う人もいるんじゃないかな」と言ったので、その”当然”は、”アイツらなら”という意味かと思ったら、どうもそうではないようで「やりすぎ、というのはどうなんだろう」と言う。
「ムハンマド(という名前は彼は覚えてなかったが)を絵にすることそのものが良くない、と言われても、それはちょっと判らないけど、頭に爆弾でしょ?僕ら、キリストの絵は別にOKだけど、頭に爆弾つけた漫画を異教徒が描いたら、そりゃ怒るよ」と言う。
へー。
大前提として、先生は熱心なクリスチャンではない。結婚式と葬式のときしか教会へは行ったことがなく、そもそも、あなたはカソリックかプロテスタントかと聞いても、即答できないくらいの人だ(...ということは、多分カソリックだろう)。
その彼でも、自分は火をつけたりはしないけど、と言いつつ、やはり怒ると言う。
キリスト教徒の国の首相が、政治に身を捧げていることのたとえにキリストを出しても、不謹慎と感じる人達がいる。
そういう地域だったんじゃないのかな、ヨーロッパというのは。
いつの間にか、言論の自由=何を言ってもいい、という人の割合が、多くなってきてしまった...ということなんだろうか。

それでもやっぱり、私は放火とか暴動とかは違うと思う。
「彼らは名ばかりのキリスト教徒と違って、それだけ宗教に対して真剣なんだよ」とか言う無宗教の人をみると、私は9・11を思い出す。
テロの後の、米軍のアフガン空爆を激しく非難した人の中に、NYでのテロについては「起こるべくして起こったこと」「奢った米国への当然の報い」みたいに言う人がいたけど、それは一体どういう意味なんだろうか。
いくらアメリカが世界各地で恨みと反感を買ってきたからって、あんな無差別大量殺人が正当化されるわけない。理由さえあれば、あんなことが許されるというなら、何でアメリカの空爆はいけないのか。関係ないアフガニスタンの民間人が誤爆で殺されるといっても、その人達と、たまたまあの日飛行機に乗っただけの民間人は、何が違うんだろう?
数の問題でも、動機の問題でもない。人を殺してはいけない、というのがすべて出発点でなければ、おかしな方向にいってしまう。だから、どっちも間違っていると私は思う。
世間から不当な評価をされている集団をみて、なんとなく擁護したくなるのは一種の正義感かもしれないけれど、その人達が何かもかも正しいわけではないんだし、過剰に褒め上げたり美化したりするのは、逆差別にもなり得る。あまり極端な言動は避けたいものだと思う。

それとは別に、こういうとき、暴動を止める気のない政府は...。
内政へのさまざまな不満から、外の問題に国民の目をそらそうとしても、限界はある。今後どうする気なんだろう、あの国は。
いいところだったから、おかしなことになって欲しくないなぁ。
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by telescopio | 2006-02-15 00:28 | 雑記