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下手の横好き語学学習日記


by telescopio

もしも私が...

ついに出た、条件法。
...というか、うーん、これって「法」というようなものではないかも。少なくとも、イタリア語やフランス語でいうような「条件法」とは違う。英語の仮定法の方が近いかな。
まず、英語の if にあたる「もし」を意味する単語には3種類あって、単なる仮定(もし明日天気だったら、とか)を表すのは idhaa と in 、反実仮想(もしも私が鳥だったら、とか)は law という。
このうち、 in は、ことわざや慣用句で使われることが多く、普段の会話で「もし負けてくれたら買うよ」みたいなときには使わない。誰でも知ってる例をあげると、アラビア語でいちばん有名かもしれないフレーズ、インシャーアッラー(もしも神が望むなら)がこの形。
これは、単語に分けてみると
 in   shaa'a     allah(u)
 もし  彼は望んだ  神は
のようになる(動詞のある文では、主語より動詞が先にくるのが基本)。
問題は、条件節と主節の動詞の形だけど、in の場合、動詞はどちらの節も完了体か未完了体短形のどちらでもよいという。つまり、4通りのパターン(両方完了体、両方短形、条件節・完了体+主節・短形、条件節・短形+主節・完了体)があるわけだ。
意味は、動詞がどの形であっても、現在を表す。
(アラビア語は厳密には時制はないんだけど、完了体というのは何せ完了したことについて述べるので、一般的にはいわゆる過去と思ってよく、未完了体は、現在から未来をカバーする)
ね、こうなると「条件法」とか呼ぶようなものじゃない気がするでしょう。
普通、印欧語で「条件法」というときは、動詞はそれ専用の特別な形になるものね(英語は違うけど)。




さて、より一般的に使う idhaa の方はどうかというと。
基本は、条件節・主節ともに完了体。ただし、主節は未完了体短形も可能という。こちらも意味は現在。
 idhaa syaribtu syaayan waDaAtu sukkaran fiihi
 お茶を飲むなら、私は砂糖を入れる。
変なの~、と思うのは、条件節が否定(~でないなら)のときで
 idhaa lam yakun dhaalika khanziiran akaltuhu
 豚肉でないなら、私はそれを食べる。
この文の lam yakun は、「lam + 未完了体短形」という、過去の否定(~ではなかった)を表す言い方になっているので、ここだけ見る限りでは、「条件節の動詞は完了体」というより「条件節の動詞は過去を表す形」と説明した方がいいような気がする。
まあ、私達の先生(日本人)自身、日本語でアラビア語を習ったわけではなく、文法用語の使い方にときどき迷いがあったりするので、この辺は追求しないでおこう。

さらに、主節が完了体動詞以外(名詞文だったり、命令形だったり)のときは、主節を fa で始めるというのがあり、これを主節の最初の単語とくっつけて一語のように表記する。
 idhaa syaAarta binAaasi faashrab qafwatan
 眠気を感じたら、コーヒーを飲みなさい。
この文で主節は ashrab (飲みなさい)という男性に対する命令形で、そこに fa がくっついている。
私の感覚ではそれも妙な感じだけど、「コーヒーをたくさん飲むと眠れない」のような文では、主節は否定辞の laa から始まり、そこにも fa がくっつくので、falaa と始まる。
英語でいえば、not に何か接頭辞みたいなものがくっついてるような状態で、すごく変な感じがする。
さらに主節に名詞文なんかきちゃうと、主語の名詞に fa がくっつくので、「もし~なら、あなた(anta)は~だ」というような文の場合、faannta で主節が始まる。
ファアンタ?変だ~!(いえ、決してファンタみたいで変だ、と言ってるわけでは)

同じようなことは、反実仮想の文でもおきて、この場合、条件節は law で始め、主節は la で始めるのだが、主節の la は、やはり最初の単語とくっついて一語になる(動詞は主節も条件節も完了体。意味は現在も過去もありうる)。
 law kuntu Tairan laTirtu fissamaai
 もしも私が鳥なら、空を飛ぶのに
この文の主節の動詞「私は飛ぶ」は Tairtu で、そこに la がくっついている。
アラビア語では、短い前置詞なんかは後の名詞とくっつけて一語にすることが多いので、特に違和感のない書き方なのかもしれないが、ううむ、やっぱり変な感じがするなー。
動詞にくっつくとか名詞にくっつくとか決まっているなら納得するけど、動詞にも名詞にも代名詞にも、はては否定辞にもくっつくなんて、その la なり fa なりは、一体なんなの?
単に表記の問題で「くっつけて」書くだけで、一語に「なる」わけじゃない、ということかもしれないけど。

ここまでで、一応初級文法は一通り終わったらしい(受動態とか、アルファベット書きでは説明が難しくて、習ったけどブログ上とばしたものもあり)。
先生は「ここまで来れるとは思いませんでした」と、私達が優秀であるかのような言い方をするけれど、申し訳ないけど、先生がどんどん進んでいっただけで、私達全然ついていけてないよね、といつも皆で言っている。
説明を聞いても「はぁ???」というものもあるし、たとえすんなり「ふーん、なるほど」と理解できた項目でも、それを使って何か言ってみろと言われても、まず無理。
1年半かけて、アラビア語がどんなに難しいかを垣間見ただけ...のような気もする。
そういってしまうとミもフタもないが(^_^;)。
そういえば、大学時代に自由単位で取ったロシア語もそうだったなー。あれも、1年かけてスラブ諸語の形態論の華やかさ(なんでもかんでも変化する)を垣間見ました、という以上のものではなかった。「こんなに何でも変化するコトバ、こどもはどうやって覚えるんだ?」と本気で疑問に思ったものだ(だって固有名詞も変化するんですよ。例えば、手紙の宛名で”田中さんへ”と書く場合、TANAKAがTANAKEと格変化します)。
なんでこんなに仕組みの違うコトバが、同時に存在するんだろう。
コトバはつくづく不思議だ。
by telescopio | 2006-02-23 00:14 | アラビア語