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下手の横好き語学学習日記


by telescopio

キブラの意外な事実

キブラの意外な事実_d0018759_0335899.jpgずっと読みたいと思っていた本をやっと読んだ。
陣内秀信・新井勇治編『イスラーム世界の都市空間』
けっこう専門的な本で(というか、大学の出版局から出ているし、もしかして正真正銘の専門書なのかも)、572ページと厚く、7,600円もしやがるので、趣味の読書として買うには、財布も本棚のスペースも圧迫するので、図書館で借りて読んだ。
イスラム都市というと、欧米から「迷宮都市」と呼ばれ、よそ者の進入を防ぐために、わざと判りにくく迷路のように作られた町、という見方がされてきた。しかし近年、そうではなく、西側の都市とは異なる秩序がきちんと存在し、そのルールが判らない人間にとってのみ、迷路のようであるだけだ、と言われ始め、ちょっと話題のテーマである。
まあ、そんなことは別にしても、やはり一度イスラム都市の魅力を知ってみると、都市空間についてきちんと調査して書かれたものを読んでおきたくなるのは、自然なことだと思う。

編者の一人、陣内さんは、建築で都市を読む、というアプローチの研究者で、イタリア都市研究で有名だけど、南イタリアから、この地域の都市空間に大きな影響を与えたイスラム都市へも調査対象を発展させ、地中海文化圏に共通する中庭をもつ住宅・宗教建築について、掘り下げた調査を行っている方だ(中庭からさらに発展して?中国の四合院建築の調査研究もある)。
本の内容は、まずイスラム都市の宗教建築、一般住居に広く見られる特徴、都市の空間構成のあり方、商業施設と都市機能の関係等について概説し、各論としてシリア、チュニジア、モロッコ、トルコ、イラン、中国ウイグル自治区のいくつかの都市を取り上げ、そこの住宅や宗教施設に見られる特徴、実際の民家のプラン等を細かく見ていく形。
私が読んで楽しかったのは、どちらかというと宗教建築より民家のつくりの方で、特に中国のカシュガルあたりの家については、中がどうなっているのか、他に情報が少ないので、興味深く読んだ。そして行ったことのある街について書かれた部分は「ああ、そうだった、そういう感じだった」と概説で懐かしく思い出し、どうしてそういうつくりになっているのか分析した部分では「なるほど~」と感心し、見る機会のなかった伝統的な住居の内部については、実際に見てみたいなあと思いながら、しみじみと読んだ。




一方、宗教建築の方。
宗教建築の代表格、モスクについては、地域の特性と時代の変遷も面白いし、いろいろ興味深いことはあるのだけど、何といっても面白かったのは、キブラのこと。
キブラというのは、聖地メッカの方向のことで、ムスリムは礼拝のとき、キブラを正面に見て立つ(一般的は、モスクのキブラ壁にミフラーブというくぼみを設け、それを祈りの目標((対象ではな))とする)。このため、世界中の全てのムスリムが、メッカの方向を向いて祈る、そのパワーの集中が...というような文脈で紹介されていることが多い。
しかし。
このキブラが、必ずしも正確にメッカの方を向いていないという。
大昔、技術が未発達であれば、測定が狂ったこともあるかもしれないが、そういうレベルではなく、モロッコのフェズでは、本来のキブラから90度近くずれたキブラもあるし、30~60度くらいずれているのは、むしろ主流といえるほど。
これは何故か?
ムハンマドは、メディナにいるとき、真南をキブラとしていたと伝えられ、その後の時代、ムハンマドに従って真南を向いて礼拝する人がいたという。
まだ、エジプトでは冬至の日の出の方角、イラクでは冬至の日没の方角がキブラと信じられていたことがあり、これらは「教友たちのキブラ」と呼ばれる。正確な測量技術がなかった時代、こういう決め方なら、マチガイはなかっただろう。
そもそも礼拝は、最初エルサレムに向かって行われていた。それが途中からメッカに変更された経緯があり、本質的に絶対不可侵の厳密なものではない、ということは言える。
アッラーは、人や物のように特定の空間にたっているのではなく、全方向にあまねく存在している。しかし人は全方向に向かって礼拝をすることはできないから、どっちを向いていいか迷わず礼拝できるよう、方向を定めた、という面があり、物理的に厳密にメッカの方向を向いて礼拝することよりも、全ムスリムが(気持ちの上で)メッカに向かって祈るという、象徴的な意味、精神的な求心力の方が、多分大事なのだろう。
こういうのは、文化について書かれた本だけでは判らない。
むしろ「全ムスリムが同じ方向に向かって祈る、そのエネルギーが...」の方向にいってしまいがちで、それはきちんとしたフィールドワークの結果、物理的な意味では事実と違う、と知っただけでも、私に取ってはひとつの発見だ。もちろん、これがさらに形骸化して「気持ちの問題だから、実際はどっち向いてもいいんだよ」なんてことにはならないけど。
キブラは礼拝の向きだけでなく、ムスリムを埋葬するときは頭をキブラに向けるし(イスラムは土葬)、旅先にはメッカの方向が判る磁石を携帯するくらいで、大事なことには違いないのだが、イスラムは、そんなにガチガチの融通のきかない教えではない、という発見でもあるかもしれない。

ついでにいくつか建築関連で、一般書をご紹介。
『南イタリアへ!』講談社現代新書
陣内さんのホームグラウンド、南イタリア都市を建築で読む。南イタリアへ行きたくなります。もっと前に書かれた『ヴェネツイア』も興味深いけど、新しい本の方が素人にも読みやすく、読み物として洗練されてきた印象。
『モスクが語るイスラム史』中公新書(絶版)
モスクの建築はコンスタントに行われたものではなく、ある種のブームがあり、そこに働いた為政者の思惑や、王朝の中心となった地域の風土・気候などを考える。
『世界のイスラーム建築』講談社現代新書
こちらは建物そのものに的を絞った本。イスラム建築全体を概説した素人向けの本は少ないので、まずはここから。キリスト教の教会建築にくらべると、様式の変遷もはっきりしないし、系統だった研究も進んでいない分野のような気がする。
by telescopio | 2006-03-17 01:35 | 読書